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(略称:竹筬研究会)
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 昨年の10月号よりの絹通信もNo.7、2ヶ月に1回の割合ですから2年目に入ります。この1年間は竹筬研究会のあゆみと報告でした。竹筬研究会の岐阜県瑞穂市祖父江における技術研修会は、現在月2回の割合で約10名前後の方が見学も応援者も含めて参加されています。2月号で竹筬の復興を支える会員募集をインフォメーション欄に載せていただき、産地の技術者であり技術研修していただける特別会員、竹筬の製造技術を研修し伝承者希望の正会員、応援団であり協力者であり賛同者である準会員や賛助会員のご入会で会としての体制も整い、4月には芸術文化振興基金の援助金交付の要望書に対して480万円の助成金交付の内定があり、準会員や賛助会員にご入会いただきました方達の会員のご協力もあり、経済的な裏付けのあるサポート体制ができました。具体的には正会員の方達の研修活動費用や、研修していただいている特別会員の方達への研修費用、竹材料の購入費、そして今一番大切な銑(セン)をはじめとする道具類の復興と制作費に当あてることができ、一歩ずつですが竹筬復興へ向けての会の活動は進んでいます。今一番進んでおられる合原さんは、木綿用の800本程度のタテ糸の竹筬試作品を完成され、その試織を他の会員さんにしていただきました。他のスタートの遅かった方達は合原さんを目標に豊田陸雄さん、義雄さん達の研修を受けられ、さらに自宅で技術研修の練習をしていただくために刃物と正直台の製作を進めています。この道具が正会員の皆様にゆき渡りますと、技術のスピードがぐっと高くなり、面取りや焼き入れといった筬羽の仕上げ工程へ進めます。その先の筬組工程の研修まで、まだ先は遠いのですが、試作品もできておりますので次は会としての全体のレベルを一段と高め技術研修をしていただき、完成度の高い竹筬の復興を目指したいと思います。
※入会および研修見学は随時受け付けていますのでご連絡ください。また、竹筬や竹に関する情報もよろしくお願いいたします。


 竹筬研究会の理事であり副会長でもありました、知多木綿グループの竹筬の中心的存在で、会でも中心的な役割と竹の技術を持っておられた平野豊さんが6月24日に急死されました。この会の最初から竹筬復興に向けて一緒に活動し、特に道具にはじまる技術的な面を担当していただいておりました。本当に残念な思いですが平野さんが担当し残していただいた刃物・銑が先日できあがり、その思いと共に楽しかった研修時のことも含めて新たな思いで竹筬復興を目指したいと思います。なお、7月19日の研修会にての理事会で副会長に合原厚さん、理事に石川博之さんを選出させていただき、お二人にはご了承をいただきましたことをご報告いたします。
(8月23日記)

竹筬研究会会長 下村輝


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年10月号#283掲載 p.75
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 竹筬研究会の研修は、新しく竹筬作りを希望される正会員の方が3名加わり、現在10名。4月からは月2回のペースで進んでいます。現在は主に筬羽の厚みをそろえるための引く工程、荒引き、2番引き、皮取り、上引きの4工程であるのですが、そのための道具である正直台、その上にセットされている刃物・銑(せん)の調整を、豊田陸雄さんと義雄さんにご教授いただいております。銑は4組の「くさび」を使って、それぞれの工程の目的の厚みに引けるよう固定して引き、鯨2分のゲージマスに決められた枚数が入らないといけないのですが、引く角度によっても武の厚みは変化してしまいます。ですが、これが修得できなければ、次の仕上げ工程や、その先の筬組み工程へは進めません。月2回の限られた研修期間だけでは、経験することに限界があり、今ある道具を参考に、正会員の平野豊さんが刃物を含めた道具類の複製を試作され、陸雄さんの許可のもと発注。これができますと、正会員の方たちは自宅で自前の道具での研修が可能になります。会員の中で今、一番進んでおられる合原厚さんが独自の工夫で数枚の竹筬を組まれ、豊田亨さんに組方の道具やノウハウを研修されており、竹筬の復興に希望が持てつつあります。この6月30日には滋賀県安曇川町の「扇骨」の所へ竹ベラ作りの参考技術を見学に行きます。また、5月には奈良県立民俗博物館大和民俗公園の横山浩子さんより,古代の瓦作りのための麻布作りの際に竹筬を作られた報告が、民俗博物館研究紀要第20号に掲載されました。お送りいただいたその本、「竹筬製作に関する資料と製作の試み」は、われわれの研修にも大変参考になる貴重な資料でした。また、この研究会が組織される以前に中国に強い友人に依頼していた中国の竹筬が、一応、麻用ということなのですが、絹用の羽数までの竹筬もできており、5月のクラフトフェア松本で販売され、完成度の確認のため、木綿用と絹用の試作を発注することにしております。いろいろなところで、いろいろな試みがなされていること、心強い限りです。また、情報の提供もお願いします。
(6月21日紀)


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年08月号#281掲載 p.72



竹筬研究会の会員募集を「染織α」でしていただいた結果、資料を送付する方が60名程度になり、送付は3月末になってしまいましたが、4月に入り順次、会員のお申し込みをいただくようになり、回避という経済的な裏付けをいただいての応援団になってきています。その中には竹筬羽作りに挑戦してみたいという方が3名おられますし、扇の竹の部分:扇骨(センコツ)の職人さんに、竹筬羽作りを依頼され試作見本を送ってこられた方もおられ、別の竹世界の技術の方との広がりも出てきています。さらに今月(4月)10日には心強い連絡がありました。昨年12月に平成16年度の芸術文化振興基金に助成金交付要望書を出していたのですが、まだ内定とはいうことですが、478.1万円の要望のところ、450万円という連絡があり、竹筬および竹筬羽製造技術の保存と継承、そのための記録作成のための助成金が受けられそうです。それに研究会に加入していただきました会員の皆様方の会費、予定ですが約50万円を加えて約500万円という資金が竹筬を復興を目指す研修希望者のための費用として使用できることになります。今まで研修者の方たいの個人負担で活動していたことが、公的な面で認知され、活動できることになりました。これまでいろいろな面から応援していただいた皆様のおかげで、大きな助成をしていただくことができましたことを、お礼申し上げるとともに、またいろいろなご助言、ご意見と情報もよろしくお願い申し上げます。この月末には祖父江で研修会を再度開く予定でおり、内定とはいえ、お金のことも含めた活動内容を具体的に相談して決定し、活動していきたいと思います。
(4月18日記)


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年06月号#279掲載 p.74



染織α2月号のインフォメーション欄で竹筬研究会が発足し、その復興を支える会員募集を掲載していただいたことで、現在その問い合わせと資料請求が30件ほどきており、3月上旬には資料送付ができる予定です。その結果、会員のお申し込みをいただき、復興を支える具体的な広がりのある研究会になります。その中にはエアージェット用の金筬屋さんもおられ、元・日本竹筬工業の手持ちの竹筬羽で、現在も竹筬を製造されており、研究会の活動にも興味を持っていただきました、筬組みのプロでもあるわけですから、竹筬復興の貴重な存在になる方かもしれません。今月(2月)の26日に再度、豊田義雄さんによる仕上げ工程のビデオ撮影をいたします。その方にも26日に同行していただくことになりました。また、筬を使用する側のプロの集まり、西陣工業組合よりも連絡をいただき、同じく同行していただく予定です。また、地元、穂積町の染織家の方より、手伝えることはありませんかとご連絡をいただいており、新しい形の竹筬羽作りの職人さんから、それを使用する方たちまでのネットワークができそうです。26日のビデオ撮影の日、事務局の田口理恵さんも同行してくれ、その折お申し込みいただいている皆様への資料などを具体的に決め、作成して送付と思っており、今しばらくの時間をいただきたいと思います。この送付資料ができましたら、沖縄をはじめとする各織物組合に対しても提案をしていき、復興をさせる研究会をより広がりのある会にしていきたいと思います。これからも、竹筬に関する情報をよろしくお願いいたします。また、われわれ研究会もいろいろな情報を染織αをはじめとして、そのほかいろいろな機会をとらえ発信していきたいと思います。
(2月22日記)


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年04月号#277掲載 p.5



 11月22日(土):参加者12名:豊田陸雄さんの農作業も終わり、また研修が始まりました。今回の目的はわれわれの研修風景のビデオ撮影ではなく、陸雄さんご自身の仕事である1.竹あみ2.竹割り3.荒引き4.幅取り5.ニバン引き6.皮取り7.上引き8.羽揃え9.羽切りまでの一連の手順を記録するビデオ撮影で、知多木綿の関智子さんによる質問形式で陸雄さんに実演していただき、田口理恵さんと木村裕樹さんに別角度から2台のビデオで撮っていただく手法をとりました。陸雄さんたち職人さんにとっては当たり前の仕事として記録もしていなかっただけに、今後の機長な動画資料となったと思います。また、われわれの竹筬復興のための研修が、祖父江の方たちにも理解されてきたのか、刃物や道具類が少しずつですが家に残っていたものを持ってきていただけるようになり、良い交流の方向へいっている実感です。
 11月29日(土):参加者9名:陸雄さんの作業の中でわれわれが一番難しいと思う刃物の調整と、竹筬研究会の立ち上げ。職人技に興味のある同志社女子大学の学生さんの参加もあり、竹筬職人さんにとっては全く新しい出会いが生まれたのではと思います。前回の陸雄さんのビデオ撮影が良かったのでしょうか、祖父江の方から、次回は仕上げ工程を説明できる豊田義雄さんによる手順をぜひビデオに残してほしいとの要望で、次回は仕上げ工程のビデオ撮影に決まりました。竹筬研究会の会則もでき、会長:下村輝、理事:平野豊さん(副会長担当)、田口理恵さん(事務局長担当)、合原厚さん、後藤明さん、関智子さん、高橋裕博さん、監事(会計監査):佐藤能史さん、高野昌司さん。名誉会長には元日本竹筬工業K.K代表取締役の豊田亨さんにお受けいただきました。現在9名の方が希望されている竹筬の復興を目指し、技術研修をされている方たちの応援団になれるよう、会を運営していきたいと思いますし、竹、刃物、そのほか竹筬作りに必要な情報や、会への参加もよろしくお願いいたします。
※今月号のインフォメーション欄で「竹筬研究会」の会員募集をいたしております。ぜひご覧いただき資料をご請求ください。
 12月13日(土):先代の代表者、平塚栄一さんより仕上げ工程を習われた最後の職人さん、豊田義雄さんによる手順解説のビデオ撮影。ご高齢でもあり、体調があまり良くなく、陸雄さんのビデオ撮影のようにはいかなかったのですが、それでも参加者は、未知の仕上げ工程の手順が、実際の道具を含めて理解できたと思います。次回、16年1月には再度、義雄さんによるビデオ撮影を計画しており、完成度の高い仕上げ工程のビデオを残したいと思います。参加者は竹筬作りを習いたいと新しく加わられた白髭羊子さん、職人技に興味のある学生さん2名を含め、13名の参加でした。
2003年12月18日記 下村輝


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年02月号#275掲載 p.5



染織αのCMタウンで竹筬の情報をお知らせしたのが2002年1月号、前年の11月に日本竹筬工業の豊田亨さんへ連絡を取った時には会社の解散手続き中。京都に残っていた唯一の竹筬店、北岡さんよりもう竹筬はできないと連絡を受け、調べ出したのが2001年の中ごろでした。京都の機料店へ連絡を取った結果は竹筬はもうできなくなり、金筬ではという返事で、仕込先、またはその先の竹筬職人たちの会社、日本竹筬工業は業界の世界からは知ることはできませんでした。豊田さんを知り得たのは愛媛県の染織家・野本さんから、また竹筬の修理と再生をお願いできる筬職人・伊勢崎の平井さんは徳島県の染織家・浜垣さんよりの情報です。京都の北岡さんの竹筬もよく調べてみると、豊田さんお竹筬羽、鹿児島の筬屋さんも筬羽はやはり豊田さんと、すべて岐阜の日本竹筬工業にたどり着きます。竹筬屋さんといっても竹筬羽を仕入れ、竹筬に組み立てる職人さんのお店や、その職人さんより竹筬を仕入れる機料品店だったという具合で、豊田陸夫さんや森助一さんのような筬羽職人さんまではなかなかたどり着けないシステムの世界でした。京都では唯一だった北岡さんの竹筬を支えていたのが、京都の織物業界ではなく、全国の染織家の方たちだったということを考えますと、これからは逆に業界にも情報発信して竹筬の復興を支えていかないといけない時代になったと考えております。竹筬研究会では、京都の角浦さんと東京の石川さんという研修を希望される方がさらに2名おられ、どちらも奥様が染織をされているご主人です。研修をいただいている農家でもある豊田陸雄さんの稲の作業が終わる11月20日以降にまた、次回の研修が始まる予定です。またにぎやかな研修になると思います。研修風景のビデオができましたので、ご希望の方にお貸しいたします。下村ねん糸までご連絡ください。また、研修会のメンバーである田口理恵さんが今月号で「岐阜・祖父江の竹筬」を執筆されておりますので、是非ご覧ください。(10月21日記)


『月刊染織α』(染織と生活社)2003年12月号#273掲載 p.4



■ 日本竹筬保存研究会(通称:竹筬研究会)
 文化庁の近藤都代子さんのアドバイスもあり、7月に日本竹筬保存研究会、もう一度、竹筬を復興するための会をつくりました。今、竹筬羽の最後の生産地だった岐阜県穂積町(現:瑞穂市)祖父江に出向き、職人さん豊田陸雄さんより、竹割り→荒引き→幅取り→2バン引き技術を習得すべく、約10日に1日の割合で実技を伝承していただいています。その先の筬羽の仕上げ工程は唯一の職人さん森助一さんが昨年10月に亡くなられ、独自に修得しなくてはならない困難は多くあるのですが、知多木綿の関さん、高山さん、山口さんの女性達、そしてその方達のために竹製糸車を作られている同じ知多の平野さん、岡崎市の合原さん、金沢市の長谷川さんと竹筬を復興してみたいという思いの方達とアジアの主に染織の道具を研究されている研究者の方達との合流で竹筬研究会は動きはじめました。来年度からは文化庁で選定保存技術として認定される可能性のある会の活動なのですが、職人さんの年令をカンガエ、お互い少しでも早くが良いという事で、今のところ自前での活動なのですが動いております。復興に向けて何よりも一番大切な事は、竹筬羽作りの技術と伝承を受け継いでみたい、竹筬を作ってみたいという平野さんをはじめとする人達の思いと行動力、そして技術の研鑽です。これからも会として意欲のある方の参加を望んでおりますし、竹筬に関する情報も、よろしくお願いいたします。「竹筬」という小冊子のコピーと昭和59年(1984年)製作の「技術の素顔・竹筬」のビデオをお送りします。下村ねん糸までご連絡ください。


『月刊染織α』(染織と生活社)2003年10月号#271掲載 p.5
「絹通信」は『月刊染織α』(染織と生活社)のインフォメーション欄に載せた,下村会長による家業の「下村ねん糸」と竹筬研究会の活動報告です。

掲載号:2003年10月#271号(絹通信#1)〜2007年08月#317号(絹通信#24)
    ※偶数月号に掲載

竹筬研究会の活動の歴史を知る一資料として掲載します。
(竹筬研究会の情報のみ抜粋)
■2001年

 中頃:下村に京都の筬屋北岡さんから「竹筬ができなくなった」との連絡があり、竹筬の調査を開始する。

 11月:豊田亨さんに連絡する。日本竹筬工業は解散手続き中との返事。

 12月『月刊染織α』1月号(染織と生活社)“つむぎ#201”で竹筬に関する情報提供を依頼する。

■2002年


 1月~:『月刊染織α』1月号“つむぎ#201”への反響あり。T橋さんから高島の近江扇子の竹の骨製造は健在であるとの連絡。S本さんからインドでの筬羽作りはどうかとの提案を受ける。徳島県木頭村の人から連絡など。

 3月:『月刊染織α』4月号に竹筬のことを紹介。

【H14年度】

 4月14日:滋賀県新旭町の京扇子加工業「扇骨屋」さんの作業所を訪問、見学する。

 豊田亨さんから竹筬製作に関する情報を得る:筬羽の仕上げ工程をこなせる職人が居ないため、日本竹筬工業で筬羽を再現することは不可能とのこと。

 5月:『月刊 染織α』6月号に紹介記事掲載。

 6月:『月刊 染織α』7月号に紹介記事掲載。

 6月27日:祖父江で豊田亨さんに面会し、現状についての話を聞く。

 森助一さん(仕上げ工程の「削り」・「油焼き」・「磨き」・「淵削り」・「最終仕上げ」の各工程を担当された最後の職人さん)の仕事場を見学する。森さんは高齢のため、気力はあるが体力的に仕事は無理とのこと。

 8月2日:竹筬の復活と継承に関心を持った仲間10名で祖父江を訪問し、豊田亨さん、豊田陸雄さん(日本竹筬工業で竹筬羽を削っておられた職人さん)と面会する。訪問の目的は竹筬の必要性や技術継承の重要性を直接職人さんに伝えることにあった。訪問者のうち4名が竹筬で手織をしていた。

 祖父江では作業現場や道具類を確認し、ビデオ「技の素顔・竹筬」をもらう。森さんは体調が悪いため面会は叶わなかった。

 外国での竹筬再現も視野に入れ、中国製竹筬現物の持ち帰りを依頼する。

8月:『月刊染織α』9月号に紹介記事掲載。

8月~10月:T口さんが民具学、民俗学、日本産業史資料等から竹筬に関する文献の調査収集。

 9月:『月刊染織α』10月号に紹介記事掲載。

 10月:森助一さん逝去。道具類の保存法を豊田亨さんに依頼する。

12月:『月刊染織α』1月号に紹介記事掲載。

■2003年

 3月:H井さんに竹筬修理を引き受けてもらうことを依頼し承諾を得る。

 3月12日:“つむぎ”を読まれた文化庁文化財調査官である近藤都代子さんから助成の受け皿となる組織団体が出来ることを条件に支援の働きかけあり。豊田亨さんに伝え復興に向けての可能性を相談する。

【H15年度】

4月:『月刊 染織α』5月号に紹介記事掲載。

6月26日 第1回技術研修会を祖父江で行う。文化庁の近藤さんも交えて、10名が参加。

 7月6日:第2回技術研修会。3名が参加して森さんの道具を引き継ぐ。

 7月15日:第3回技術研修会。6名が参加。

 7月24日:第4回技術研修会。10名が参加し、会の名称を「日本竹筬技術保存研究会(竹筬研)」と決める。選定保存技術としての認定を目指して自前で活動を開始し、豊田亨さんから10日に1度の割合で技術指導を受ける。

 7月25日:下村、T橋、S藤で京都・北岡さんの道具調査を実施。

8月1日:第5回技術研修会。10名が参加。

8月25日:第6回技術研修会。3名が参加。

9月:H野さんを講師に、知多木綿蔵メンバーで竹を扱うための実習を開始。

9月:『月刊 染織α』10月号の広告欄で、偶数月に竹筬研究会の活動報告と情報の発信を開始する。

9月27日:総合地球環境学研究所で実施した、東京大学東洋文化研究所・国立民族学博物館地域研究企画交流センター連携研究「アジア染織研究会」にて、H野、S、T口が竹筬づくりの工程と技術保存の問題を発表。

10月:刃の発注と正直台の試作。

11月22日:第7回技術研修会。12名が参加。会則の試案を検討。豊田陸雄さんの作業(「竹あみ」から「羽切り」まで)をビデオ収録。祖父江の人々の理解を得られるようになり、各家に残っていた竹筬製作用の道具の提供を受けるようになった。

11月:『月刊染織α』12月号(No.273)にて、論文「岐阜・祖父江の竹筬-動きはじめた竹筬製造技術伝承への試み」が掲載。

11月29日:第8回技術研修会。9名が参加。刃物の調整技術の指導を受ける。

会則や役員を定め、「日本竹筬技術保存研究会」が正式に発足。

 12月13日:第9回技術研修会。13名が参加。豊田義雄さんによる仕上げ工程の作業手順説明をビデオに記録する。

 12月6日:日本芸術文化振興会の平成16年度芸術文化振興基金助成金に要望書を提出。

 12月:『月刊染織α』1月号(No.274)に竹筬研の紹介記事および論文「岐

阜・祖父江の竹筬 その2 筬羽のできるまで-製造の手順」が掲載。


■2004年

 1月:『月刊染織α』2月号インフォメーションのグループ欄に研究会発足と竹筬の復興を支える会員募集の記事が掲載される。→30件の資料請求を受ける。

2月:第10回技術研修会。

3月:第11回技術研修会。 

3月末:60件の資料を送付する。

【H16年度】

 4月30日:H16年度 第1回技術研修会。17名が参加。

 5月10日:第2回技術研修会。11名が参加。古代瓦作りのための麻布作りに使う竹筬復元の報告である「竹筬製作に関する資料と製作の試み」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第20号の紹介。

 木綿用と絹用の中国製の竹筬を発注予定。

5月21日:第3回技術研修会。6名が参加。

6月4日:第4回技術研修会。12名が参加。

6月18日:第5回技術研修会。12名が参加。

6月21日:銑(セン)・正直台(ショウジキダイ)を発注。G原さんの竹筬試作品が完成。

6月30日:滋賀県安曇川町の扇骨屋さんへ扇骨作りの技術と工程の見学。4名が参加。

7月10日:第6回技術研修会。7名が参加。

7月19日:第7回技術研修会。13名が参加。

7月:副会長のH野さん急逝。

8月6日:第8回技術研修会。9名が参加。

8月11日 平成16年度 芸術文化振興基金助成交付決定。活動名は「竹筬および竹筬羽の製造技術の保存および継承と、そのための記録作成」(助成額は450万)。

8月21日:第9回技術研修会。10名が参加。

9月14日:文化庁に竹筬研究会の中間報告を行う。G原さんの竹筬は日本竹筬工業製には及ばないが、中国製を超えた精度の高い竹筬であって、竹筬という現物で研修成果を確認してもらう。

9月22日:知多市歴史博物館と染織工房を訪問。トヨタ産業技術記念館を見学。7名が参加。

 “青土”さんに依頼していた中国製の竹筬の最新作を入手(中国製の筬:孟宗竹を使用。日本製よりも15%重い。「油引き」後の「焼き」は行われていない。1枚7000円。木綿用の筬は知多木綿組合に依頼して試し織りを試みたところ筬目の寄りが出た)。

10月16日:第10回技術研修会。12名が参加。

G原さんに木綿糸800本用の竹筬試作を依頼。

10月27日:国際交流基金・アジア理解講座『アジアの布と社会』の第5回目で、T口さんが「布作りを支える部品と道具 -竹筬製造技術の地域内伝承と地域間ネットワーク-」というタイトルの講義。

11月13日:第11回技術研修会。12名が参加。

11月21日:第12回技術研修会。12名が参加。

12月11日:第13回技術研修会。11名が参加。



■ 2005年

1月22日:第14回技術研修会。10名が参加。

2月12日:第15回技術研修会。15名が参加。

2月26日:第16回技術研修会。12名が参加。

3月11日:第17回技術研修会。12名が参加。

3月18・19日:大分県竹工芸支援訓練センター見学(参加者5名)。

竹筬製作の道具類を復元したことで正会員に貸し出し、自宅研修を可能とする体制作りができた。研修での「仕上げ」工程への挑戦、八重山上布用竹筬製作を今年の目標とし、石垣島より使用中の竹筬の取り寄せを依頼する。

3月24日:岐阜県穂積市で研究会の総会と技術研修成果報告会開催。一般市民の参加を得る。

・・・

2006年

8月23日 平成18年度 芸術文化振興基金助成交付決定(助成額は350万)。活動名は「竹筬製造技術(仕上げ工程)の保存および継承と、そのための記録作成」。編組み工程までの全工程を習得した会員は5人となった。研修者たちは、筬試作品の使用実験や沖縄での研究ワークショップを通して自己研鑽に励んでいる。

2007年7月6日  平成19年度 芸術文化振興基金助成交付決定(助成額は280万)。活動名は、「竹筬製造技術(仕上げ工程)の保存および継承と、そのための記録作成」。H18年度の活動の延長で、筬羽作り、筬羽仕上げ工程および筬修理技術習得のために技術研修会を続ける。各織物産地向けの筬羽を目指し、試作実験、使用実験を進めた。筬羽用竹材など材料確保とそのシステム作りの問題に取り組む。研修者たちは、筬試作品の使用実験や宮古、石垣島での研究ワークショップを通して自己研鑽に励んだ。



H20年度 芸術文化振興基金助成の交付内定。「竹筬製造技術の保存と継承(特に自動筬編み機用の筬羽作りと仕上げ工程)と、そのための記録作成」。


文責:田口



2007年11月に筬に関する専門書が自費出版という形で出されました。
筬という織物道具の一部品に関する専門書はおそらく初めてではないでしょうか。

内容は、筬に関して時代や国を越えて網羅的に記してあります。

詳しくは 【こちら】 のページで紹介されています。




ご購読を希望される方は、著者である加藤忠一さんへ直接ご連絡ください。

ご連絡先:
加藤忠一
chu3★jcom.home.ne.jp
(★→@)



                           目次紹介:
 平成12年、一人の竹筬羽作りの職人さんがお亡くなりになり、全国の竹筬製造は中止となりました。ある日突然、竹筬は入手出来なくなりました。当時、竹筬はすでに存続の危機にあったにもかかわらず、それを必要とする人達には伝わっていませんでした。今、竹筬と同じ事が金筬でもおきようとしています。
 
 金筬を作っている筬屋の数は現在、最盛期の十分の一以下に激減しています。その原因はいくつかありますが、大きく言えば日本で織物が作られなくなり、経営が成り立たなくなったことが挙げられます。その為、後継者も居らなく、筬屋の多くは60・70代という年齢でいつ廃業を決意されてもおかしくありません。また、筬を作る材料屋も同様の状況にあり、リードワイヤー(筬羽)屋は次々と辞めてしまい、今では残り2軒(去年までは5軒)となりました。果たして10年後、筬は作れる環境にあるのでしょうか。

 筬は織りには欠かせない部品です。今後も安定供給をするにはそれなりの仕事の量と価格が必要です。ただ悪戯に安さを競い合ってもおそらく皆共倒れになるでしょう。いえ、正確にはすでになりつつあり、今がその結果です。市場原理、企業努力だけでは竹筬と同じ道を辿りかねません。その様にならない為にも織物にかかわる方々の協力を得て、意図的に仕事を集約し、ある程度、特定の企業を存続させていこうとする全体の意思の必要性を感じています。筬の購入の際は少しでも「筬の存続」を考えて頂ければうれしく思います。

 愛知県 蒲郡市
 有限会社 筬熊リード製作所 
  小嶋孝幸




■ 紹介

 小嶋さんには、金筬製作の技術を生かして、竹筬羽の仕上げと組み立ての工程を担当してもらっています。60・70歳代がほとんどを占める竹筬研究会の正会員の中で、数少ない30歳代の若手会員として、日々努力してもらっています。
 
 現在、金筬は機械織り用のものを主流に作っておりますが、手織用の金筬作りも期待するところです。

 竹筬研究会 会長
  下村輝
 


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