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(略称:竹筬研究会)
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染織α2月号のインフォメーション欄で竹筬研究会が発足し、その復興を支える会員募集を掲載していただいたことで、現在その問い合わせと資料請求が30件ほどきており、3月上旬には資料送付ができる予定です。その結果、会員のお申し込みをいただき、復興を支える具体的な広がりのある研究会になります。その中にはエアージェット用の金筬屋さんもおられ、元・日本竹筬工業の手持ちの竹筬羽で、現在も竹筬を製造されており、研究会の活動にも興味を持っていただきました、筬組みのプロでもあるわけですから、竹筬復興の貴重な存在になる方かもしれません。今月(2月)の26日に再度、豊田義雄さんによる仕上げ工程のビデオ撮影をいたします。その方にも26日に同行していただくことになりました。また、筬を使用する側のプロの集まり、西陣工業組合よりも連絡をいただき、同じく同行していただく予定です。また、地元、穂積町の染織家の方より、手伝えることはありませんかとご連絡をいただいており、新しい形の竹筬羽作りの職人さんから、それを使用する方たちまでのネットワークができそうです。26日のビデオ撮影の日、事務局の田口理恵さんも同行してくれ、その折お申し込みいただいている皆様への資料などを具体的に決め、作成して送付と思っており、今しばらくの時間をいただきたいと思います。この送付資料ができましたら、沖縄をはじめとする各織物組合に対しても提案をしていき、復興をさせる研究会をより広がりのある会にしていきたいと思います。これからも、竹筬に関する情報をよろしくお願いいたします。また、われわれ研究会もいろいろな情報を染織αをはじめとして、そのほかいろいろな機会をとらえ発信していきたいと思います。
(2月22日記)


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年04月号#277掲載 p.5
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 11月22日(土):参加者12名:豊田陸雄さんの農作業も終わり、また研修が始まりました。今回の目的はわれわれの研修風景のビデオ撮影ではなく、陸雄さんご自身の仕事である1.竹あみ2.竹割り3.荒引き4.幅取り5.ニバン引き6.皮取り7.上引き8.羽揃え9.羽切りまでの一連の手順を記録するビデオ撮影で、知多木綿の関智子さんによる質問形式で陸雄さんに実演していただき、田口理恵さんと木村裕樹さんに別角度から2台のビデオで撮っていただく手法をとりました。陸雄さんたち職人さんにとっては当たり前の仕事として記録もしていなかっただけに、今後の機長な動画資料となったと思います。また、われわれの竹筬復興のための研修が、祖父江の方たちにも理解されてきたのか、刃物や道具類が少しずつですが家に残っていたものを持ってきていただけるようになり、良い交流の方向へいっている実感です。
 11月29日(土):参加者9名:陸雄さんの作業の中でわれわれが一番難しいと思う刃物の調整と、竹筬研究会の立ち上げ。職人技に興味のある同志社女子大学の学生さんの参加もあり、竹筬職人さんにとっては全く新しい出会いが生まれたのではと思います。前回の陸雄さんのビデオ撮影が良かったのでしょうか、祖父江の方から、次回は仕上げ工程を説明できる豊田義雄さんによる手順をぜひビデオに残してほしいとの要望で、次回は仕上げ工程のビデオ撮影に決まりました。竹筬研究会の会則もでき、会長:下村輝、理事:平野豊さん(副会長担当)、田口理恵さん(事務局長担当)、合原厚さん、後藤明さん、関智子さん、高橋裕博さん、監事(会計監査):佐藤能史さん、高野昌司さん。名誉会長には元日本竹筬工業K.K代表取締役の豊田亨さんにお受けいただきました。現在9名の方が希望されている竹筬の復興を目指し、技術研修をされている方たちの応援団になれるよう、会を運営していきたいと思いますし、竹、刃物、そのほか竹筬作りに必要な情報や、会への参加もよろしくお願いいたします。
※今月号のインフォメーション欄で「竹筬研究会」の会員募集をいたしております。ぜひご覧いただき資料をご請求ください。
 12月13日(土):先代の代表者、平塚栄一さんより仕上げ工程を習われた最後の職人さん、豊田義雄さんによる手順解説のビデオ撮影。ご高齢でもあり、体調があまり良くなく、陸雄さんのビデオ撮影のようにはいかなかったのですが、それでも参加者は、未知の仕上げ工程の手順が、実際の道具を含めて理解できたと思います。次回、16年1月には再度、義雄さんによるビデオ撮影を計画しており、完成度の高い仕上げ工程のビデオを残したいと思います。参加者は竹筬作りを習いたいと新しく加わられた白髭羊子さん、職人技に興味のある学生さん2名を含め、13名の参加でした。
2003年12月18日記 下村輝


『月刊染織α』(染織と生活社)2004年02月号#275掲載 p.5



染織αのCMタウンで竹筬の情報をお知らせしたのが2002年1月号、前年の11月に日本竹筬工業の豊田亨さんへ連絡を取った時には会社の解散手続き中。京都に残っていた唯一の竹筬店、北岡さんよりもう竹筬はできないと連絡を受け、調べ出したのが2001年の中ごろでした。京都の機料店へ連絡を取った結果は竹筬はもうできなくなり、金筬ではという返事で、仕込先、またはその先の竹筬職人たちの会社、日本竹筬工業は業界の世界からは知ることはできませんでした。豊田さんを知り得たのは愛媛県の染織家・野本さんから、また竹筬の修理と再生をお願いできる筬職人・伊勢崎の平井さんは徳島県の染織家・浜垣さんよりの情報です。京都の北岡さんの竹筬もよく調べてみると、豊田さんお竹筬羽、鹿児島の筬屋さんも筬羽はやはり豊田さんと、すべて岐阜の日本竹筬工業にたどり着きます。竹筬屋さんといっても竹筬羽を仕入れ、竹筬に組み立てる職人さんのお店や、その職人さんより竹筬を仕入れる機料品店だったという具合で、豊田陸夫さんや森助一さんのような筬羽職人さんまではなかなかたどり着けないシステムの世界でした。京都では唯一だった北岡さんの竹筬を支えていたのが、京都の織物業界ではなく、全国の染織家の方たちだったということを考えますと、これからは逆に業界にも情報発信して竹筬の復興を支えていかないといけない時代になったと考えております。竹筬研究会では、京都の角浦さんと東京の石川さんという研修を希望される方がさらに2名おられ、どちらも奥様が染織をされているご主人です。研修をいただいている農家でもある豊田陸雄さんの稲の作業が終わる11月20日以降にまた、次回の研修が始まる予定です。またにぎやかな研修になると思います。研修風景のビデオができましたので、ご希望の方にお貸しいたします。下村ねん糸までご連絡ください。また、研修会のメンバーである田口理恵さんが今月号で「岐阜・祖父江の竹筬」を執筆されておりますので、是非ご覧ください。(10月21日記)


『月刊染織α』(染織と生活社)2003年12月号#273掲載 p.4



■ 日本竹筬保存研究会(通称:竹筬研究会)
 文化庁の近藤都代子さんのアドバイスもあり、7月に日本竹筬保存研究会、もう一度、竹筬を復興するための会をつくりました。今、竹筬羽の最後の生産地だった岐阜県穂積町(現:瑞穂市)祖父江に出向き、職人さん豊田陸雄さんより、竹割り→荒引き→幅取り→2バン引き技術を習得すべく、約10日に1日の割合で実技を伝承していただいています。その先の筬羽の仕上げ工程は唯一の職人さん森助一さんが昨年10月に亡くなられ、独自に修得しなくてはならない困難は多くあるのですが、知多木綿の関さん、高山さん、山口さんの女性達、そしてその方達のために竹製糸車を作られている同じ知多の平野さん、岡崎市の合原さん、金沢市の長谷川さんと竹筬を復興してみたいという思いの方達とアジアの主に染織の道具を研究されている研究者の方達との合流で竹筬研究会は動きはじめました。来年度からは文化庁で選定保存技術として認定される可能性のある会の活動なのですが、職人さんの年令をカンガエ、お互い少しでも早くが良いという事で、今のところ自前での活動なのですが動いております。復興に向けて何よりも一番大切な事は、竹筬羽作りの技術と伝承を受け継いでみたい、竹筬を作ってみたいという平野さんをはじめとする人達の思いと行動力、そして技術の研鑽です。これからも会として意欲のある方の参加を望んでおりますし、竹筬に関する情報も、よろしくお願いいたします。「竹筬」という小冊子のコピーと昭和59年(1984年)製作の「技術の素顔・竹筬」のビデオをお送りします。下村ねん糸までご連絡ください。


『月刊染織α』(染織と生活社)2003年10月号#271掲載 p.5
「絹通信」は『月刊染織α』(染織と生活社)のインフォメーション欄に載せた,下村会長による家業の「下村ねん糸」と竹筬研究会の活動報告です。

掲載号:2003年10月#271号(絹通信#1)〜2007年08月#317号(絹通信#24)
    ※偶数月号に掲載

竹筬研究会の活動の歴史を知る一資料として掲載します。
(竹筬研究会の情報のみ抜粋)
■2001年

 中頃:下村に京都の筬屋北岡さんから「竹筬ができなくなった」との連絡があり、竹筬の調査を開始する。

 11月:豊田亨さんに連絡する。日本竹筬工業は解散手続き中との返事。

 12月『月刊染織α』1月号(染織と生活社)“つむぎ#201”で竹筬に関する情報提供を依頼する。

■2002年


 1月~:『月刊染織α』1月号“つむぎ#201”への反響あり。T橋さんから高島の近江扇子の竹の骨製造は健在であるとの連絡。S本さんからインドでの筬羽作りはどうかとの提案を受ける。徳島県木頭村の人から連絡など。

 3月:『月刊染織α』4月号に竹筬のことを紹介。

【H14年度】

 4月14日:滋賀県新旭町の京扇子加工業「扇骨屋」さんの作業所を訪問、見学する。

 豊田亨さんから竹筬製作に関する情報を得る:筬羽の仕上げ工程をこなせる職人が居ないため、日本竹筬工業で筬羽を再現することは不可能とのこと。

 5月:『月刊 染織α』6月号に紹介記事掲載。

 6月:『月刊 染織α』7月号に紹介記事掲載。

 6月27日:祖父江で豊田亨さんに面会し、現状についての話を聞く。

 森助一さん(仕上げ工程の「削り」・「油焼き」・「磨き」・「淵削り」・「最終仕上げ」の各工程を担当された最後の職人さん)の仕事場を見学する。森さんは高齢のため、気力はあるが体力的に仕事は無理とのこと。

 8月2日:竹筬の復活と継承に関心を持った仲間10名で祖父江を訪問し、豊田亨さん、豊田陸雄さん(日本竹筬工業で竹筬羽を削っておられた職人さん)と面会する。訪問の目的は竹筬の必要性や技術継承の重要性を直接職人さんに伝えることにあった。訪問者のうち4名が竹筬で手織をしていた。

 祖父江では作業現場や道具類を確認し、ビデオ「技の素顔・竹筬」をもらう。森さんは体調が悪いため面会は叶わなかった。

 外国での竹筬再現も視野に入れ、中国製竹筬現物の持ち帰りを依頼する。

8月:『月刊染織α』9月号に紹介記事掲載。

8月~10月:T口さんが民具学、民俗学、日本産業史資料等から竹筬に関する文献の調査収集。

 9月:『月刊染織α』10月号に紹介記事掲載。

 10月:森助一さん逝去。道具類の保存法を豊田亨さんに依頼する。

12月:『月刊染織α』1月号に紹介記事掲載。

■2003年

 3月:H井さんに竹筬修理を引き受けてもらうことを依頼し承諾を得る。

 3月12日:“つむぎ”を読まれた文化庁文化財調査官である近藤都代子さんから助成の受け皿となる組織団体が出来ることを条件に支援の働きかけあり。豊田亨さんに伝え復興に向けての可能性を相談する。

【H15年度】

4月:『月刊 染織α』5月号に紹介記事掲載。

6月26日 第1回技術研修会を祖父江で行う。文化庁の近藤さんも交えて、10名が参加。

 7月6日:第2回技術研修会。3名が参加して森さんの道具を引き継ぐ。

 7月15日:第3回技術研修会。6名が参加。

 7月24日:第4回技術研修会。10名が参加し、会の名称を「日本竹筬技術保存研究会(竹筬研)」と決める。選定保存技術としての認定を目指して自前で活動を開始し、豊田亨さんから10日に1度の割合で技術指導を受ける。

 7月25日:下村、T橋、S藤で京都・北岡さんの道具調査を実施。

8月1日:第5回技術研修会。10名が参加。

8月25日:第6回技術研修会。3名が参加。

9月:H野さんを講師に、知多木綿蔵メンバーで竹を扱うための実習を開始。

9月:『月刊 染織α』10月号の広告欄で、偶数月に竹筬研究会の活動報告と情報の発信を開始する。

9月27日:総合地球環境学研究所で実施した、東京大学東洋文化研究所・国立民族学博物館地域研究企画交流センター連携研究「アジア染織研究会」にて、H野、S、T口が竹筬づくりの工程と技術保存の問題を発表。

10月:刃の発注と正直台の試作。

11月22日:第7回技術研修会。12名が参加。会則の試案を検討。豊田陸雄さんの作業(「竹あみ」から「羽切り」まで)をビデオ収録。祖父江の人々の理解を得られるようになり、各家に残っていた竹筬製作用の道具の提供を受けるようになった。

11月:『月刊染織α』12月号(No.273)にて、論文「岐阜・祖父江の竹筬-動きはじめた竹筬製造技術伝承への試み」が掲載。

11月29日:第8回技術研修会。9名が参加。刃物の調整技術の指導を受ける。

会則や役員を定め、「日本竹筬技術保存研究会」が正式に発足。

 12月13日:第9回技術研修会。13名が参加。豊田義雄さんによる仕上げ工程の作業手順説明をビデオに記録する。

 12月6日:日本芸術文化振興会の平成16年度芸術文化振興基金助成金に要望書を提出。

 12月:『月刊染織α』1月号(No.274)に竹筬研の紹介記事および論文「岐

阜・祖父江の竹筬 その2 筬羽のできるまで-製造の手順」が掲載。


■2004年

 1月:『月刊染織α』2月号インフォメーションのグループ欄に研究会発足と竹筬の復興を支える会員募集の記事が掲載される。→30件の資料請求を受ける。

2月:第10回技術研修会。

3月:第11回技術研修会。 

3月末:60件の資料を送付する。

【H16年度】

 4月30日:H16年度 第1回技術研修会。17名が参加。

 5月10日:第2回技術研修会。11名が参加。古代瓦作りのための麻布作りに使う竹筬復元の報告である「竹筬製作に関する資料と製作の試み」『奈良県立民俗博物館研究紀要』第20号の紹介。

 木綿用と絹用の中国製の竹筬を発注予定。

5月21日:第3回技術研修会。6名が参加。

6月4日:第4回技術研修会。12名が参加。

6月18日:第5回技術研修会。12名が参加。

6月21日:銑(セン)・正直台(ショウジキダイ)を発注。G原さんの竹筬試作品が完成。

6月30日:滋賀県安曇川町の扇骨屋さんへ扇骨作りの技術と工程の見学。4名が参加。

7月10日:第6回技術研修会。7名が参加。

7月19日:第7回技術研修会。13名が参加。

7月:副会長のH野さん急逝。

8月6日:第8回技術研修会。9名が参加。

8月11日 平成16年度 芸術文化振興基金助成交付決定。活動名は「竹筬および竹筬羽の製造技術の保存および継承と、そのための記録作成」(助成額は450万)。

8月21日:第9回技術研修会。10名が参加。

9月14日:文化庁に竹筬研究会の中間報告を行う。G原さんの竹筬は日本竹筬工業製には及ばないが、中国製を超えた精度の高い竹筬であって、竹筬という現物で研修成果を確認してもらう。

9月22日:知多市歴史博物館と染織工房を訪問。トヨタ産業技術記念館を見学。7名が参加。

 “青土”さんに依頼していた中国製の竹筬の最新作を入手(中国製の筬:孟宗竹を使用。日本製よりも15%重い。「油引き」後の「焼き」は行われていない。1枚7000円。木綿用の筬は知多木綿組合に依頼して試し織りを試みたところ筬目の寄りが出た)。

10月16日:第10回技術研修会。12名が参加。

G原さんに木綿糸800本用の竹筬試作を依頼。

10月27日:国際交流基金・アジア理解講座『アジアの布と社会』の第5回目で、T口さんが「布作りを支える部品と道具 -竹筬製造技術の地域内伝承と地域間ネットワーク-」というタイトルの講義。

11月13日:第11回技術研修会。12名が参加。

11月21日:第12回技術研修会。12名が参加。

12月11日:第13回技術研修会。11名が参加。



■ 2005年

1月22日:第14回技術研修会。10名が参加。

2月12日:第15回技術研修会。15名が参加。

2月26日:第16回技術研修会。12名が参加。

3月11日:第17回技術研修会。12名が参加。

3月18・19日:大分県竹工芸支援訓練センター見学(参加者5名)。

竹筬製作の道具類を復元したことで正会員に貸し出し、自宅研修を可能とする体制作りができた。研修での「仕上げ」工程への挑戦、八重山上布用竹筬製作を今年の目標とし、石垣島より使用中の竹筬の取り寄せを依頼する。

3月24日:岐阜県穂積市で研究会の総会と技術研修成果報告会開催。一般市民の参加を得る。

・・・

2006年

8月23日 平成18年度 芸術文化振興基金助成交付決定(助成額は350万)。活動名は「竹筬製造技術(仕上げ工程)の保存および継承と、そのための記録作成」。編組み工程までの全工程を習得した会員は5人となった。研修者たちは、筬試作品の使用実験や沖縄での研究ワークショップを通して自己研鑽に励んでいる。

2007年7月6日  平成19年度 芸術文化振興基金助成交付決定(助成額は280万)。活動名は、「竹筬製造技術(仕上げ工程)の保存および継承と、そのための記録作成」。H18年度の活動の延長で、筬羽作り、筬羽仕上げ工程および筬修理技術習得のために技術研修会を続ける。各織物産地向けの筬羽を目指し、試作実験、使用実験を進めた。筬羽用竹材など材料確保とそのシステム作りの問題に取り組む。研修者たちは、筬試作品の使用実験や宮古、石垣島での研究ワークショップを通して自己研鑽に励んだ。



H20年度 芸術文化振興基金助成の交付内定。「竹筬製造技術の保存と継承(特に自動筬編み機用の筬羽作りと仕上げ工程)と、そのための記録作成」。


文責:田口


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